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米プレイボーイ誌フルヌードをやめる理由 [国外衝撃ニュース]

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アメリカの男性誌「プレイボーイ」は10月13日、同誌の看板だった女性のヌードグラビア掲載を2016年3月号から取りやめると発表しました。1953年の創刊以来、アメリカンポップカルチャーを担い続けてきた同誌の方針転換は、出版業界に衝撃を与えそうです。
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プレイボーイにヌードグラビアとして採用された女性は「プレイメイト」と呼ばれ、第1号にマリリン・モンローが登場したことで知られています。保守的だったアメリカにおいてセクシーなグラビア掲載を敢行したプレイボーイは、自由を象徴する雑誌となり、プレイボーイ全盛期のアメリカでは、プレイボーイを読むことが「ある種のスリルを味わう文化」とされていたそうです。


インタネットでヌードが簡単に見られるようになった

インターネットでヌードが簡単に見られる時代になった点が大きい。プレイボーイはウサギをデザインしたロゴで世界的に知られるが、ヌード掲載を続けた場合、ロゴの権利料の収益に悪影響が出かねないとの判断もあった。

米国プレイボーイ誌は1972年11月に700万部を売り上げるまでに人気がありましたが、現在は約80万部まで落ち込んでいます。

同誌の収益の柱は雑誌の売上よりも、香水や宝飾品、入浴関連製品に使うロゴの権利料などが中心になっており、4割を中国が占めるとされています。

同誌は、Facebookなどのソーシャルメディアに投稿しやすいよう、2014年8月にウエブサイトではヌード写真を排除。その結果、サイトの利用者の平均年齢は47歳から30歳に、月の利用者数も400万人から1600万人に急増したそうです。


プレイボーイ誌の表紙をかざった女優


シャナン・ドハーティー

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『ビバリーヒルズ高校/青春白書』のブレンダ役で大ブレイクしたシャナン・ドハーティーは、「プレイボーイ」の表紙を2度飾っている。現在はシー・シェパードに参画するなどの活動を行っている。


リンジー・ローハン
 
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リンジー・ローハンが、「プレイボーイ」で脱いだのは2012年1・2月合併号。報酬は100万ドル(約9,400万円)で、写真が事前に流出したために発売日が早まるなど大きな注目を集めた。マリリン・モンローを意識して撮影されたヌード写真は芸術的で、アートとして評価する声も。深紅のセットをバックに、少々ぎこちない表情でもあるが、服を着ている時からは想像できない肉感的なボディを見せつけた。


ドリュー・バリモア
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 7歳で出演した映画『E.T.』の子役で世界中から愛されるようになったものの、アルコールと薬物にまみれボロボロに。その後、自立した彼女は20歳で95年1月号の「プレイボーイ」で脱ぐ決心をした。往年の大女優マレーネ・ディートリッヒのような細眉&メイクで誌面に登場した彼女は、金髪に染めた髪とは対照的な黒いアンダーヘアもチラリと公開。小ぶりの乳をさらけ出して満面の笑みを浮かべるその姿は、健康的でエロさを感じないともいわれた。おなかや腰に彫ったタトゥーには、これまで大変だった思いが込められているように感じられたが、この写真を見て「成長したのだ」と思った人が多く、彼女にとっては子役のイメージから脱するチャンスになったと伝えられている。


シャロン・ストーン
 
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90年代、セックスシンボルの名をほしいままにしたシャロン・ストーンは、これまで2度「プレイボーイ」の表紙を飾っている。最初は、映画『トータル・リコール』の公開日に合わせるように脱いだ90年7月号。代表作『氷の微笑』(92)の“ノーパンでの足の組み換え”で有名になったシャロンだが、この号ではパンティをはいた上で股を開いたり、スケスケのボディスーツを着て男性に乳房をわしづかみにされたり、ノーパンの股間に男性の足を押し当てて微笑むなど、大胆なショットが満載。形の良い乳房は彫刻のようだと話題になった。2度目に登場したのは『氷の微笑』で世界的に有名になった直後の92年12月号。前回ほどではないが、クリスマスにふさわしい、美しい裸体を披露している。映画では役のために躊躇せず脱ぐ彼女だが、「プレイボーイ」のヌード写真は「一味違う」と世の男性から重宝されている。


カルメン・エレクトラ
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 プリンスに見初められ、デニス・ロッドマンや名ギタリストのデイヴ・ナヴァロとの結婚歴を持つカルメン・エレクトラは、03年9月号と09年1月号の表紙を飾っているが、09年が特に好評だった。特大のケーキの上に寝そべってクリームを全裸に塗りまくったり、パイパンの下腹部にプレイボーイのマスコットであるプレイバニーの絵を入れたり、誘うような表情も魅力的だ。胸はシリコンを入れたような形をしているものの、美しいので問題ないという意見が多い。


カーニー・ウィルソン
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人気コーラスグループ「ウィルソン・フィリップス」のカーニー・ウィルソンは、長年肥満に苦しんできた。ピーク時は136キロにも達し、健康面での不安を抱えた彼女は、99年に胃を小さくするバイパス手術をし、68キロまで減量することに成功。…大喜びした彼女は、03年8月号の「プレイボーイ」でヌードを披露した。彼女は28から6までサイズダウンしたのだが、ほかのプレイボーイ・モデルたちに比べると明らかに太め。しかし、そんなことも気にならないほどの仕上がりだった。彼女の美しさが際立つように、たわわな乳房を強調するように撮影されており、男性だけでなく女性からも好評。カーニーはその後、リバウンドし、再び肥満に苦しむことになるが、「プレイボーイ」のヌードを見て自分を奮い立たせていると告白。今もダイエットに励んでいる。


キム・ベイシンガー
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 俳優アレック・ボールドウィンとの泥沼離婚・親権裁判でのイメージが強いキム・ベイシンガーだが、その昔はセクシー女優として一世を風靡していた。ブレイクのきっかけとなった作品は、ボンドガールに抜擢された『ネバーセイ・ネバーアゲイン』(83)。これを記念するように彼女は83年2月号の「プレイボーイ」を飾った。欧米人が重要視するお尻はさほどないものの、乳房は大きく、なによりも表情に艶があると話題に。その後、彼女は映画『ナインハーフ』でセックスシンボルとなった。


ジェリ・ハリウェル
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 スパイスガールズの“ジンジャー・スパイス”として90年代に世界的な人気を誇っていたジェリ・ハリウェルが、ふてぶてしい表情で「プレイボーイ」の表紙を飾ったのは98年5月のこと。撮影は外で行われており、むすっとした顔にむちっとした体、薄めの陰毛がアンバランスで男性の本能を刺激し、好評を得た。一方で、お世辞にもキレイな体だとはいえないという声も上がっており、ウエストのくびれがなさすぎる、乳が垂れているという手厳しい意見もあった。


ディタ・フォン・ティース
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 バーレスク・ダンサーでフェティッシュ・モデル、マリリン・マンソンの元妻として知られるディタ・フォン・ティースが「プレイボーイ」を飾ったのは2002年12月のこと。縄で縛られ、口輪をされ、顔をゆがめた写真、手を縛られた写真、ノーパンで乗馬のムチを持つ写真、乳房を出し、飛行士のコスプレをする写真など、マニアにはたまらないショットが掲載された。43センチまで細くなるというウエストも、コルセットを着用し披露。豊満な乳房と比べて、なんともアンバランスで芸術的だと話題になった。"



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